わかりやすい授業

立教大学の件で記事が上がっていた。

「黙れ!」「お前が黙れ!」授業中に教員激怒、男性が罵声 動画拡散…立教大「適切に対処したい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/61d8e62343302a892864444ee0d1025120f6f8ca

内容は、講義の内容がわからないことを理由に講師と口論になった学生が教室から出ていった話。

日本では高校までの勉強がお客さんとして扱われる学び方となっていて、生徒や学生にとっては「わからないのは教える側の責任」と勘違いしているものが多くいる。

本来、学ぶということは学ぶ側にその動機を持っていないといけない。自分の意志で机に向かいペンを持つことがないなら学ぶことは出来ない。

聞いて分かるような講義なら聞かなくとも自分で本を読んだりすることで理解することが出来る。講義を聞いたぐらいで分からないような内容だからこそ聞く価値がある。講義でわからなかったことを図書館などで調べて理解を深めることが大切。講義は自分が新しい分野に触れるキッカケとなるようなものだと考えるほうが大学の講義としては正しいのだろう。

高校の数学の授業ではわかりやすい授業を求められることが多かった。他の数学の先生とは「わかりやすい授業」とは「分かった気にならせる授業」のことだとよく話をしていた。わかった気になったぐらいでは理解したわけではないので無駄なことをしている感じはずっとあったが、日本の教育ではそれで十分だったのだろう。

文部科学省は大学を教育機関として考えており、教えた時間に対し身についた人間が増えないといけないと考えているのではないか?そのために入学定員を守ること要求し、大学は定員を守るために推薦入試で定員の殆どを埋めないといけなくなった。

大学の本来の役割は「研究機関」であり、「研究者養成機関」であるはずが殆どの大学が高校までの学び直しのような教育を行う場となってしまっている。

高卒で就職する生徒は比較的優秀な生徒で、就職が困難な生徒は専門学校や大学へ進学を勧められる。この為、大卒のレベルは大きな落差があり今後も広がっていく可能性が高い。

学ぶべきことが沢山あるのに入試を通る為の勉強が主になっている現状はこの国の未来に暗い影を落としているのかもしれない。

数学の役割

学校では数学を学ぶが高校までで学ぶ内容は主に計算問題を行っている。

計算能力は様々な分析などを行う上で必要な能力であり学ぶことに意味は大きい。また、計算結果があっているか否かで採点をすることが大学入試を始めとした試験の採点上、不公平が無い様にするのに適しているとも考えられる。この為、高校までは特に計計算問題を解く作業を行っている。

数学は計算をすることだけを指すのではないが、このような状況からほとんどの人は「数学とは計算をすることである」と勘違いしている。

数学の役割は、実験結果等の数字の意味を読み解く役割や、日本語や英語などの自然言語の基礎を支える役割を担っている。つまり、数学は言語としての役割を持っている。

学校で数学を教えるのは、「仕事などで使う道具の役割」、「論理的な思考をする脳を鍛える役割」、「日本語を使うための基礎となる言語の役割」があるためであるが、計算をするだけであれば道具の役割しか身につかず、仕事の経験ない子供からは何のために学ぶのかという疑問につながる。

日本では数学をきちんと学べるのは大学で数学を専攻した場合のみに限られるのかもしれない。